意味があるとかないとか、価値があるとかないとか
日曜日の昼下がり、ぼーっとiPhoneを握りしめながら、ポツポツと浮かんできた考えをツイッターのタイムラインに投げ込んでみたのでした。
独り言のような、だけど誰かに聞いてもらいたいような、そんな思いの出口にツイッターというのは相性が良いですね。
もちろんこれは私個人の感想なので、有益たるべしとかそういうことをいう人もいるかもしれませんが。
ブログでなくてツイッターだったのはそもそもの内容が、どのくらいのまとまり感、ボリューム、有益性を持ってブログエントリとするか、いつのまにやら自分でその閾値を上げてしまってるんじゃないか、という内容だったからでした。
これがまた不思議なもので、こんなどうでもいいつぶやきに反応してくれる人がいたりして、ありがたいなあ、なんて思ったりして。
そんなやりとりの中、自分が楽しむためにはじめたブログなのに、こんなことで悩むなんて変だなぁ、と思ったところでこれをそのままブログに書いてみようなんて思ったのが今回。
思いつくままに、色々書いていってどう着地するかは分からないまま。
そういえばこの感覚は自分のラクガキでもよくあって、なにも考えずただ黙々と何かを描き続けていることがよくあります。
特に具体的なモチーフもなく、気の向くままペンの向くまま、まさにラクガキといった感じで。
「これはなに?」と聞かれても、自分自身もよく分からないのです。
でも不思議なことに見た人が勝手に解釈し始めたりしてそれはそれで楽しいな、と思ったりするのです。
多分文章も同じで、自分が思ってもなかった発見を誰かがしてくれるかもしれないし。
文章だけでも、絵だけでもない、自分にしかできないことがこの辺りに隠れてるんじゃないかな、そんなことを思ってみたりして。
こんな思いが私のココロをワシヅカミした日曜の昼下がりでした。
ワシヅカミスト タムカイ(@切り抜きジャック)でした。