そうかオレは天才じゃないんだ、だからオレにゃ限界はないんだ〜OZPAとjの狂想曲〜
タイトルは以前のエントリで紹介したRHYMESTERの「K.U.F.U.」の一説から。
狂想曲って言ってみたけどどんなのか分かっていません、タムカイ(@tamkai)です。
No Second Life セミナーで感じた”恐怖” の正体「雑刊おつぱの戯れ言」No.11 | OZPAの表4
朝からこのエントリを読んで、いい意味で心に引っかかっていて
その理由が何か、ずっと考えていてようやく答えが出た気がしました。
リンク先のエントリの内容を簡単に説明すると、OZPAさんという素うどんの如き細長いブロガーが、jMatsuzakiさんというこれまたとあるマグマのように熱いブロガーの講演に尊敬と恐怖を感じたというお話。
私も過去二度ほどjMatsuzakiさんのプレゼンを見せていただいたのですが
圧倒的なインパクトで「本当にすごい」という感想を持ちました。
で、その時にある人が言った「jは天才だ」という感想。
これにずっと引っかかっていました、こちらはそれほどよくない意味で。
『天才』と言ってしまう思考停止
先述のエントリの中でOZPAさんが自分のセールスポイントを「トークスキル」と設定されているとの記述があります。
そしてそのために努力をしている、とも。
光栄なことに以前お酒の席をご一緒させていただいたのですが
これがまたとても面白いのですよ、おぱんつおつぱし。
そんな彼がjのトークに恐怖を覚えた、と。
で、その時の感想
徹底されたキャラクターと見事な時間配分、緻密な自己分析による意見の打ち出し。
「徹底」は「天然」から生まれるものではありません
「見事な時間配分」は「積み重ねたリハーサル」でのみ実現されるものです。
つまりOZPAさんは自分が努力してるが故に
jのトークの裏にある努力をちゃんと感じとっていたのです。
これこそが私の心をつかんでいた要素でした。
すごさが分かるということ
ある分野でのすごさがちゃんと分かるということは、自分もまた努力しているということだと思うのです。
「俺にだってできるさ」と始めてみて、本当のすごさが分かる。
すごさを知って始めて、自分なりの工夫ができる。
OZPAさんもjMatsuzakiさんも、まずブログがとてもおもしろいのです。
そしてその上でトークがおもしろい。
私もこうしてブログを書いてみて、そのすごさが分かるようになった気がします。
そしてさらに自分なりの工夫をしなければ、という思いも同時に生まれ
これを大事にしたいな、と思ったのでした。
今回のワシヅカミポイントは
- すごいと感じた時、「天才」だからとは思わないこと
- すごさが分かるということは、自分も努力しているからだということ
- その上で自分なりの努力や工夫をやめないこと
の3つ
それにしてもjMatsuzakiさんはプレゼンやブログ以外は結構普通の好青年という印象なのに対し
OZPAさんは「ふざけないと長い文章が書けない」どころか
実際に会うとさらにえらいことになってて、ほんとすげーなーと感心しました(いい意味で!)