【発売直前】3DSは僕たちの何を変えるのか
さていよいよ明後日に発売を迎える3DSですが個人的にかなり期待しています。
3Dでゲームができるということでありながら、従来のNintendo DSの後継機というポジションにいる辺り、さすがの商品戦略だな、と感じさせます。
このあたり独自規格だったため正当に評価されなかったバーチャルボーイの反省がおおいに生かされているのかな、と。
しかし正直に言うと発表された当初は「3D?いらんやろー。まあ、買うけどさ」という気持ちでした。
値段も2万5千円と結構お高め。「ゲームにこれは・・・」と。
実はその気持ちは今も変わっていません。ゲーム機に2万5千円は高いですよ、やっぱり。
でも今、楽しみで仕方ないんです。
そこで僕が何に期待し、3DSは何を変えると感じているのか。
ちょっと覚書として書いておこうかと。
■ゲームはすごくなると思います、普通に
やはり表現として3Dが使えるというのはゲームを次のステージに引き上げる要因だと思います。
それはファミコンからスーパーファミコン、PSやその他のゲーム機で表現力が上がったようなこととまったく同じです。
もちろん個人個人に主観があるので表現力イコール面白いでないことも重々承知です。
しかし映像や表現については格段にレベルアップしています。
この点については真に3Dを活かしたゲームの登場が待ち望まれます。
先日某量販店で試遊機に触れる機会があったのですが、まだまだ3Dならではというものは無かったという印象でした。
■3Dは「思い出」を変えるんじゃないか
そこで僕がもっとも注目しているのが3D写真です。
3DSにはカメラが二つついていて立体写真を誰でも簡単に撮れるということが一つのウリになっています。
これがすばらしいことだと思うのです。
今の時代、人の思い出とカメラは切っても切り離せない関係にあります。
特に銀縁からデジタルになりイベントというイベントで、はては日常生活でもカメラを見かけない日はありません。
そんなカメラは白黒からカラーへ、デジタルになってからはより高解像度へと進化してきました。
人の思い出というのは不思議なもので、呼び水のような何かのきっかけがあれば一気にあふれだしてきます。
こういうとき写真というのはとても有効な存在です。
ここで個人的には色、解像度に続くさらなる要素として「奥行き間」があるんじゃないかな、と思うのです。
要素が多様であればあるほどさまざまなことを思い出します、これによって「ゲーム」だけでなく「思い出」も次のステージに引き上げるのではないかと。
■そして僕は3DSに飽きる
変な話ですがこれは間違いないと思っています。
こんなに熱い思いをさっぱり忘れて僕は3DSに飽きてしまうでしょう。
でもこれも面白そうだと思うのです。
今の時代ほとんどのデータがデジタル化され、いつでもどこでも見られることが当たり前になっています。
かくいう僕も写真はFlickrにあげてあるので見たいと思えばすぐ見られるような環境です。
ただこれでは思い出のありがたみも消えてしまう気がします。
しかし3DSで撮った写真は今のところ(おそらく)3DSで楽しむものになってしまうのではと。
ちょうど携帯で撮った写真をわざわざPCに移さず楽しんでしまうように。
そして機種変とともに存在を忘れ、ある日なんとなしに見てしまうように。
なので例えば五年後とか十年後、思い出したように3DSを充電して購入直後にキャッキャと撮った写真を見たりするんじゃないか、とかそんなことを想像してしまうのです。
最近、何かとログを残すということそれだけで価値があるのかな、と思うことがあります。
Twitterもブログも写真もそんな気持ちで続いています。
このエントリーもこんな今の気持ちのログなのかもな、と思うとすでに「思い出」というのは変わり始めているのかもなと思ったり。
こんな、まとまらない文章もそのときの「思い出」だったりするわけですから。