オトンとニワトリとクレオパトラ
もうかれこれ二十年ほど前、生まれて三度目の引越しの末にたどり着いたのはド田舎山奥の借家だった。
かつて庄屋だか何だか昔話で聞いたような地域の有力者が住んでいたというその家は、庭・蔵・かまど付100坪オーバーというふざけたスペックながら家賃は月3万5千円というこれまた破格のお値段設定。
こんな物件をどこから見つけてきたのかは知らないが、父は念願だった田舎暮らしを満喫していた。
特に周辺が農家ばかりだったこともあり、近所の人からノウハウを聞いては野菜を作りそれが毎晩食卓に上るという自給自足を地でいく生活を数年間続けていた。
そんな父が「ニワトリを飼おう!そしたらタマゴが食べられる!」と言い出したのはある夏のことだったろうか。
破格の家賃で貸し出されたその物件は多少の勝手(よく言えばリフォーム)についてほぼ不問という状態だったので、父は裏庭にあったかつての農耕具置き場の一部を破壊しニワトリ小屋を作ると言い出した。
もともと几帳面な性格かつ手先の器用な父は自ら木材を切り出し、そこそこ立派なニワトリ小屋を作りあげた。
もちろん小学生だった僕と弟もその作業に借り出され、木材を切ったり釘を打ったりしていたのだが、その最後の工程が雨ざらしの木材が腐らないように防腐剤を塗布するというものだった。
ここで父が取り出したのが、どこから手に入れてきたのか(もちろんホームセンターなのだが)「クレオソート」という防腐剤だった。
このクレオソートには独特なにおい、いわゆる正露丸のようなヨード臭があり、僕たちは我慢しながらも癖になるそのにおいを全身に浴びながら粛々とニワトリ小屋に防腐処理を施していった。
(ちなみに正露丸の原料の木クレオソートと防腐剤のクレオソートは別物。)
そんなにおいのせいか炎天下のせいか、いつしか僕のニワトリよりも単純な頭の中では
クレオソート→クレオ→クレオパトラ→エジプト→ミイラ!
という変な連想ゲームが進行していた。
しかも困ったことに学研の科学だか何かで読んだ「ミイラは腐らないように防腐剤が使われている。」みたいな記事のせいでこの連想ゲームの記憶が変に強固なものになってしまった。
そんなこんなで苦労の甲斐もあって無事ニワトリ小屋は完成し、我が家はニワトリの卵を毎日おいしくいただくことができた。
その後もう一度引越しをして、あのニワトリ小屋はもうない。
そして僕も少し大人になった。
そのせいなのかちょっと懐かしい気分に浸りたいときに、僕はラフロイグというウイスキーを飲んだりする。
においは記憶を引き出すというが、強烈なヨード臭があの日の記憶をちょこっと思い出させてくれるから。
ただ困ったことが一つ。
その記憶の隅っこのほうにいつも、ミイラを抱いたクレオパトラがにっこりと微笑んでいるのだ。